④私の父

こんばんは。どうも室長です。
今日は、私の父について書きます。
私の父は、苦労した人でした。仕事は私立高校の教諭でした。
中学生の時に、父は、父を亡くし、母子家庭で育っています。高校は工業高校に行き卒業後、造船会社に就職しましたが、大学に行くために貯金するために就職しました。数年後に大学に入学しました。その大学は、ある競技でオリンピック選手を何人も輩出している名門校です。父は、その競技をやっていたこともあり、その大学にあこがれ、入学しました。入学してから父に起こった壮絶ないじめは、こどもながら、想像しただけでとても怖くなりました。年齢が普通入学の生徒より上だったこともあり、先輩でも年齢が下の先輩もいたようで、壮絶ないじめにあったみたいです。それでも父は、いじめに耐え大学生活を全うしました。父は、2年前に他界しましたが、通夜の日に、私のスマホがなり、ある競技で世界選手権の代表にもなったことのある大学の先生からでした。涙ながらに父の死を悲しんでくれていました。普段住んでいる場所も、関西と関東で離れているのに、またその世界で有名な人が、わが父のために涙を流している声を電話越しに聞き父が頑張っていたからこそ、そうやって時がたっても泣いてくれる人がいるのだなと、息子ながら涙が出たことを覚えています。
父と私は、同じ競技をしていたこともあり、一緒にいる時間は、学生時代は多かったです。しかし社会人になり、私自身、同じ職種ということもあり変なプライドがあり、いつか超えてやるとか、自分の方が現代の授業や、仕事量も父より優っているとか変な勘違いをして、あまりいい態度をとっていませんでした。今思えばものすごく後悔しています。
父の晩年は、病気に苦しみ職場でもモラハラ・パワハラにあっていました。その時の音声もいまでも残っています。家族としてはとても悔しい思いをさせてしまったと思っています。。。。
父が亡くなる前にはICUに入ったり、病院を転院し詳しく調べなくてはいけなくなったりで父の体にも負担は大きかったと思います。仕事終わりにお見舞いに行ったりもよくしました。晩年はあまり言葉を発することもできなかった父がいつも最後に笑顔で手を振ってくれていました。今でも頭に浮かぶと涙が出ます。私は父にもっと親孝行しないといけなかったし、大事にしないといけなかったと、いつも思っています。
父との出来事は、尽きないし書き始めると終わりがないです。しかし長文になりすぎるので私が、父から学んだことはたくさんありますが、父の他界から学んだことを記載します。
・頑張っている姿は、誰かが見ているし、応援してくれている。
・夢をあきらめない(叶う、叶わないではなく学ぶものが必ずある)
・目の前にいる人が、いつまでもいるわけではない
・その時その時に素直になって気持ちを伝える
・親に感謝をする。(嫌なこともあるけど、心に常に持っておく)
です。皆さんにとって大切な人との関りで、後悔しないように願っています。また大切と思える人とたくさん出会えることを願っています。
いつも読んでいただきありがとうございます。

2021年06月10日